嵐担の10年間備忘録。ー1年目ー

2019.1.27
「嵐の活動休止」を知ったのは、人伝だった。
当日、まだ学生だった私がバイトを終えたのは、21時頃。更衣室へ歩く途中で「嵐が活動休止するらしいよ」と聞こえた。

疲れなんて吹っ飛んだ。
10年間のファン活動の中で、何度も根も葉もないネット記事を見た。その類だと思った。なのに、TwitterのTLではいつものみんなが嘆いていて、トレンドは嵐一色だった。
一瞬で、ガセなんかでないと分かってしまった。

それからの1年は、何度も何度も過去を振り返った。嵐がたくさんのものを与えてくれるのに、何度もファンになった当初に戻りたいと懐古した。
だから、とりあえずブログで思いを吐き出して、まとめることにする。
とりあえずは、私と嵐の10年間を振り返りたい(なんて偉そうで大袈裟だけど。大したことなんてないけど。それでも23歳の私にとって、13歳の頃から応援し続けてきた嵐は、もう日常生活の1部だから(というか大部分だから))



私が嵐に落ちたのは、2009年の春頃だった。そう、永遠の新規と呼ばれる時期。永遠の新規も10年経ったのだ。
嵐と10分の1しか一緒の時間を過ごしていなかった私が、半分の時間を一緒に過ごしたことになったのだ。感慨深い。というかもう離れられない。

当時、何がきっかけだったのかは分からないけれど、不意にOne Loveにハマった。

それまでの私は芸能界なんて興味なくて、ドラマだってあまり見なかった。
花男もやまたろも流星の絆もちらっとしか見ていなくて、それに出ている人達が嵐だということどころか、ジャニーズだということすら知らなかった。
けれど、そんな私が確か2008頃放送された花男スペシャルは見たんだから、やっぱり花男人気は凄まじかったんだと思う。

そんな私がOne Loveにハマった。あの頃、しょっちゅうテレビで流れていたからだと思う。めざましとか。
その上youtubeは無法地帯だった。今となっては大声で言えないけれど、あの頃はまだ小学生で、それが違法と知らなかったし、youtubeにはたくさんの嵐動画があった。

One LoveのPVを見て、1番印象に残るのは潤くんだった。道明寺だし。
けれど、なぜか、いつのまにか、翔さんが気になった。たぶん、顔がどストライクだった。

そしてBelieveのPVへ辿り着く。そう、ヤッターマンの主題歌だ。翔さんが鬼かっこいい。しかもOne Loveと違って加工されていないから、あの麗しいお顔をしっかり拝める。

この辺りから、私の中で「櫻井翔が気になる」という感情が生まれ始める。
私は小中高一貫校なので、受験なんてなかった。そうとなれば、小学生なんて暇だ。操作を覚えたばかりのパソコンで、youtubeにかじりついた。主に宿題くん、過去のPVを見た。

極めつけは、ヤッターマンだった。知り合いからチケットを貰ったから、映画館で見ることが出来た。
当時、「櫻井翔が気になるけどヤッターマンはな〜恥ずかしいな〜というか親にアイドル気になるなんて恥ずかしくて言えないよ〜」だった私にとって、まさに天からの助け。

そして大劇場で拝む櫻井翔の顔。何度でも言うけど2009の櫻井翔は美貌で人を殺せるレベル。

そ!し!て!
4月から翔さんの主演ドラマがこれまたタイミングよく始まった。
ザ・クイズショウ。今考えればすごいドラマというか役というか。
記憶喪失で親友(男子)に軟禁されてるって。ちょっとずつ記憶を取り戻すたびに激しい頭痛って。めちゃくちゃ倒れるし。
当時は超ピュアだったから親の前で普通に見てたけど、ちょっと大人になってからだったらいろいろ思われそうで、なかなか大声で好きって言えないかも笑

何はともあれ、クイズショウとひみあらをリアルタイムで追いながら、過去の動画を漁る日々が続いた。ちょうどiPodを買ってもらったので、曲も聞きまくった。
そしたらまあ、主に翔さんにやられた。
当時翔さんはすごいいじられキャラだったから、あのイケメンがあのヘタレ(ヘタレって懐かしい)、
かと思ったら歌番組めちゃくちゃかっこいい、ZEROのスーツも良い、てなった。

しょさんがめちゃくちゃいじられてた時代...懐かしい。今はみんな嵐総ボケ総ツッコミ時代だから笑
ZEROからの宿題くんはとても良かった。しかし子供だったので、そんなに遅くまで起きてたら怒られて、あまり見ることが出来なかった(悔やんでも悔やみきれない)

あとは、コンビにやられた。
最初は大宮と櫻葉だったかな。しばらくして山と磁石のコンビも大好きになった。
まだまだにわかなので、翔潤の良さには気付けなかった(ばかすぎる)(今となっては大好きすぎるいつもインスタごちそうさまです)
胆汁事件もリアタイしてたんだけど(録画まだ残ってる)、今リアタイしたらやばいだろうな笑
昨日のストーリー(2020.1.14)の後だから、もしかしたらみんな意外と耐性ついてるかもしれないけど。

とにもかくにも、2009はファンになるのに良い時期だったと思う。
春にはクイズショウとスマイル、秋にはマイガールがあったし、ひみあらは嵐メインの企画になったし(ちょうどマネキンファイブが始まった)、秋からはVS嵐がゴールデンに進出した。

アラオケ館とか、突然登場するリーダーの友人店長とか、ダブルパーカーとか、なんだかすっごい覚えてる。ファンになった当初の記憶って、意外と鮮明。

確か日テレの嵐チャレンジウィークもこの秋。ずっと露出していたし、シングルとアルバムが続々と発売された。飽きる暇もないほど、追いかけるのに全速力だった。初の紅白出場もあった。
ファンになったばかりだったけれど、初の紅白、忘れられない。すっごくかっこよかった。キラキラしてた。まさにアイドルだった。そしてまさかこの頃は、翌年から5年連続で白組司会を務めるなんて想像もしてなかった笑

さらに私の知り合い(年上)が元々嵐ファンで、私が沼に落ちたと知ったらたくさんグッズをくれた。コンサートDVDまでくれて、これがまた私ののりめ込み具合を加速させた。

こうして、2009年の暮れにはすっかり沼に落ちきっていた。いや、夏かな。5×20予約したし。

でもまあ、当時私は中学生1年生だ。13歳だ。
お小遣いは月に1500円(遊び代は別に貰えたけれど)
あの頻度で発売されるシングル、アルバム、DVDについていくのは大変だった。お年玉とか、誕生日プレゼントとかで何とか乗りきったけれど。ただ、雑誌はほとんど買えていない。今となってはめちゃくちゃ後悔してる。

それでも、当時の私がお金を使うものと言ったら嵐くらいだったのでなんとかなった。

こうして、2010年を迎える。